昨日、コスモフルネスのクラスでトピックに上がった
「信じる」について
大切だし、ここにもプロセスがあると感じているので
今日はそのことについて書いてみよう!
自分を信じるっということは
「未来どんなことになっても大丈夫」っという安心感が自然と自分の中に生まれます。
だから、今ここにくつろぐことができます。
くつろぐっと言ってもダラダラするっという意味ではありません。
リラックスした状態で、自分が体験したいことに取り組むことができるっということです。
居心地良く、自分らしく、仕事でもプライベートでも
行動することができるっということです。
自分を自分が信じているので誰かに信じてもらう必要がありません。
だから、信じてもらえなかった時に右往左往することもありません。
承認っというのと似ていますね。
承認、受容、そして信頼。
「私はこれでいいよ」⇨「私は大丈夫」⇨「私のことを信じている」
っといった具合かな。
初めはパーソナリティとしての自分の言動を信じることから始まります。
そして、個人としての自分が失敗しないだろうか、苦しまないだろうかといった
不安から自由になっていくんです。
ここで信頼できないとコントロールが始まります。
慣れない間は信じられなくっても当たり前。
だって自然の理を知らない間は、自分にどんなことが降りかかるか
わからないから、怖かった。
怖い思いや、我慢、苦しみを経験してきたからこそ
どんなことがあっても大丈夫なんて信じられなくて当たり前なんです。
それを「そうか!信じれば全てうまくいくのか!」っと学んだことを
鵜呑みにしても、それは心の底から信じていない。
それが、盲信。
自分の感覚や、感情、思いっといった「生きているからこそ」体験できることを
まるっと何かに託してしまって、
自分で自分の「生きる」っというハンドルを握っていない状態です。
そして、感じることに興味を失ってしまい
心や思いを置き去りにしてしまうので、いつまで経っても「信じることが怖い」っという
感覚が心の奥底からなくなることはありません。
蓋を開けたら信じていないねっという状態ですね。
では、信じられない間はどうしたらいいの?っというと
文字にすると矛盾するのですが(笑)「まだ信じられていないんだね」ということを含めて
「信じてみよう」っというスタンスでチャレンジしてみる。
えっ?それってさっきの蓋してた盲信と一緒じゃない?って思った?
あはははは。
だから文字にすると矛盾って言ったじゃーん!
解説してみます。
盲信の状態は、感じていること、自分の心の状態を無視して
“信じている” と信じ込もうとしています。
信じ込みたいから、信じていないことを無視しないといけないよね。
だからそこには自分の心への気づきがないんです。
でも、後者は気づきが伴っています。
今自分はまだ信頼がそこにないっということを気づき、
その状態を受け入れ、そしてチャレンジしてみているんです。
(細かいよねー!)
行動は同じように見えるけど、その内側は全然違います。
チャレンジをしていくうちに、「あら!私これも信じてなかった」
「これも信じてなかったー」と気づきが深まってきます。
信じていなかったから、頑張ってたんだねーっという
「見守る眼差し」を自分に向けられるようになってきます。
これが「見張る」スタンスになっていたら、あれもこれも信じられてないっとなって
自分を責め出したりして、辛いよね。
気づきって、見張ることではないからご注意あれ!
さてさて、そんな風にチャレンジから始まった
「信じてみる」という体験を通して「信じる」っということが
本来はどんなことなのかを思考でなく感覚としてわかり出します。
そうすると、今まで怖くて信じられなかった自分のことを
「信じてもいいかな」っという感じになってくるんです。
もう、これは経験しないとそうなるっということ自体信じられない!笑
だから、やってみよう!っとしか言えないのが歯痒いのですが.....。
蹴伸びをたくさん練習したら、泳ぐのが怖くなくなって
クロールの練習が体の力を抜いてできるようになるよっというのに似てますよね。
でも蹴伸びの練習しないで、イメトレだけだったら、いつまで経っても
クロールの練習始められないっ的な。
うぬ。
長くなりそう!
なので、またしても次回に持ち越しで、少しづつ自分を信じられるようになったらっと
いうのを次回に書いてみますね。
◉ありのままの自分に戻る時間◉
◉心とからだのバランスをとり戻す◉
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