昨日はパートナーシップとマインドフルネスについて書いてみました。
ではそんな誰かがいなくて寂しいんだけどっという時、
あるいはパートナーはいるけれど、なぜか寂しくなってしまったり
孤独感が拭えなくて、誰かの愛が欲しくなってしまうっという事について書いてみよう。
誰かの愛が欲しい時、
誰かの愛を確認したいと感じる時、
それって自分の中に愛を感じられなくなっていないかな?
ここ数年、よく「自分を愛そう!」って言葉聞くようになりましたね。
それでインスタなんかで「自分にご褒美」だったり
「自分、最優先」などのキラキラっとした投稿もよく見かけます。
かわいい♡
でも、ちょっと待って。
それって足りない何かをもので埋めようとしてないかしら?
孤独感や誰かに愛されたいっと感じるのは
自分の中に充足感、これでいいんだっという満たされた感覚が薄くなっていたり
愛されるためには何かが必要っという欠乏感、
あるいは、誰かに無条件に愛されたいという願いがあるのだよね。
まずは自分の中にどんな感覚としてその願いがあるのかを感じてみよう。
人によって、あるいは心の成長の段階によってその感覚は違います。
そのどれもが劣っているっというのではなく、違いがあるだけ。
思考でその感覚を誤魔化してしまったり、言いくるめたりせず
ただただその感覚を味わい、受け取ってみましょう。
その感覚が変わっていくのを待つ必要もありません。
ふとした時に現れる感覚を、ただただ味わってみるだけ。
「自分の中に(まだ)そんな感覚があるんだなー」っと迎え入れてみてください。
ここでちょっとだけそんな感覚がなぜ起こってくるのかを解説してみましょう。
まずは、パートナーがいる方が良いっという刷り込み。
これ、とっても根深いんです。
無意識の内に、パートナーがいない自分は
寂しい存在なのだと自分で評価を下しているんです。
パートナーがいる場合、こんな風に扱ってもらえない自分は
悲しい存在なんだっだったり、価値がないんだ等の刷り込みの場合もあります。
そうすると、自分で気づかない無意識の領域でずーっと自分に言ってるんです。
だから、どうしても拭えない「愛を求める」っという感覚。
そしてその条件が揃ったらきっと満ちるだろうと自分の「外側」の環境を整える必要が
あるかのように感じてしまっているんですよね。
そして、もう一つの大きな大きな要因として
「自分は生まれたままで完璧だ」っということを忘れてしまっているっということ。
キリスト教などで言われている「私たちは愛そのものです」っというのは
これを意味しています。
そう、私たちは一人でこの世に生まれてきます。
そしてこの世を去る時も一人です。
その生まれてきた状態、一人っでもう完璧な状態。
何も過不足のない状態です。
最近のブームで、女性性と男性性なんてのが言われるようになったり
ツインソールだとかなんとかって言葉が一般的(?)になったりして
意味がごちゃ混ぜになってしまっていることも多いのですが
陰も陽も、女性性も男性性も、全て一つの体にちゃんとあります。
もちろん体の性別に合わせて、その特性はありますが
「誰か(パートナー)」っという自分の外の存在と合わせて
初めて統一された一つの存在として完成するっというのではありません。
自分自身の内側にある「完璧さ」「過不足ない愛」を感じることができるようになれば
孤独や物足りなさ、愛を欲するっという感覚から離れることができるようになります。
自分が「完璧さ」「過不足ない愛」の存在でないと感じているから
何かを持って完成しようとしたり、自分の中にない「愛」を必要としてしまうけれど
それが自分の中にあるのだと気がつけると
「まずは自分を愛そう」などという必要さえなくなります。
だってここの自分の中にあるんだもん。笑
2つの孤独感が現れる要因を書いてみましたが
どちらにしても、処方箋は同じ。
今ここで自分が感じていることを味わう、受け取ってみるっというだけです。
それによってどんな変化が現れるかはお楽しみに。
書いちゃうとそのために味わおうとしちゃうでしょ。笑
ゴールや成果のために何かをするのは「doingモード」
味わうことそのものであってみるのが「beingモード」。
マインドフルネスの実践は「beingモード」のプラクティスです。
もちろん自分のあり方が変わるので、起こってくる現象に変化はありますが
それはおまけのようなもの。
どんなオマケが出てくるかは、あくまでもお楽しみ。
ぜひたっぷりと味わいってみてね。
◉ありのままの自分に戻る時間◉
◉心とからだのバランスをとり戻す◉
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