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cocoyogayukari

中庸でいよう

雨の日には「雨で湿気が嫌だわー」と言い

晴れたら「日差しが気になる」と言う


雨の日には「恵の雨だわー」と言い

晴れたら「元気が出るね」と言う


寒いと「昔の怪我が痛む」と言い

暑いと「熱中症が心配だ」と言う


いいことが起こると「運がいい」と言い

悪いことが起こると「学びだ」と言う


降水量が少ないと「地球がやばい」と言い

大雨が続いても「地球がやばい」と言う



さてさて、世の中的には “ポジティブ” はいいことだ

“ネガティブ” になるのは良くないなどと言われたりしますが

本当にそうかしら?


何が起こっても“ネガティブ” だともちろん疲れちゃう。

でもその逆も然りで、何が起こっても“ポジティブ” っと言うのも

やっぱり疲れちゃうものなのです。

そこで仏教では、中庸でいようよっと言います。


何か(今回の場合はネガティブさ)を避けようとすると、執着が生まれてしまいます。

そしてその執着が気づかない間に、自分の心を覆いかくし

あたかもそう反応したかのように思考が心を装ったりします。


寒暖の差や、気圧の変動によって体調が崩れやすいのはもちろんその通り。

人間の体だって、ナチュラルなものでできているのだから

外の環境に影響されるのはあたりまです。

だからこそ、自分の体の底力を上げておきたいものですよね。

体や心にストレスが慢性的に生じている状態だと

この底力が低くなってしまいます。

そうすると、ほんの少しの自然環境の変化でも

少々の体の揺れがあっても許容範囲となってくれます。


心も同じ。

心が同じ状態でいようとするのは、風が吹いても揺れない木の葉っぱを求めるようなもの。

上手にゆらゆら揺れて、ポキっと折れてしまわない柔軟性を養っておきたいものです。


そのプラクティスとして、

「なるべくポジティブでいたいと思っているんだねー」などの

自分の好みは好みとして、知っておく。

それと同時に、自分の心の反応や体の反応に気づいてみる。

その反応が自分の好みと違っても、それはそのままにしてみる。

体の反応と心の反応がギクシャクしていたら

それは思考が働いているよっというサインです。

自分では「ポジティブ」に感じていると思っているのに

なぜかお腹や胸の辺りがざわざわしていたり、チクチクしていたり、

肩に力が入っていたり、呼吸が浅くなっていたら

心に好奇心を向けてみよう。

どんな風に感じたの?っと優しく聞いてみるといいと思うんです。


そうやって、自分の心を省みる時間ができてくると

中庸ってだんだん大きくなっていく。


今までは、すぐにイラッとしたり、ぐさっときていたのに

あらあらっといったくらいの、反応は自覚できるけど、それに振り回されない感じ。


心を育む前を例えると、中庸の幅が獣道。笑

そうすると、ちょっとよそ見して歩いていたら

すぐに獣道から足が踏み出しちゃうじゃない?

それが、心が育まれるとその獣道の道幅が広がって、車も通れるくらいの道のようになる。

ふらふら歩いてても、ちょっとやそっとじゃ道からはみ出ることがないよね。笑

それが幹線道路くらい広くなったら、もう片道3車線とかあって

その道から踏み外すってかなりのことがないと、なさそうでしょ?


これがいい / これが正しい

っと思考で考えてしまうと心が置き去りになってしまいます。

そしてあたかも「正しい」ような言葉でその心をもっと置いていってしまう。


偏ってしまわずにいられるといいよっと言うのが、中庸。


朝になったら日が昇り、夜になったら暗くなるように

心に暗い時間ができることも許してあげよう。

体が疲れたらそれを許して、ゆっくりできる時間を持とう。

その心や体をの反応を大切に、ゆっくりと底力を育んでまいりましょう。





◉ありのままの自分に戻る時間◉

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◉心とからだのバランスをとり戻す◉

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