先日、「何を感じてもOK、というお話は明日に!」と書いておきながら、すっかり時間が経ってしまいましたー。えへへへ。
早速「何を感じてもOK」ということについて、書いてみようと思います。
なのですが、その前に!
「感じる」ということについて。
私たちは五感を通し、いつでも何かを感じています。そして、そんな感覚に刺激され、いろんな思考が巡っています。
その思考、注意を向ける練習をしていないと、自覚する隙もない間にぐるぐると巡っていて、思考が思考を引き寄せ、鎖のようにどこまでも繋がってしまいます。
思考は自分と長い時間を共にしています。なので、まるで「心」の様に振る舞い、「心」がそう感じているように、またはそれを欲し、心の願いのように錯覚していしまいます。
それは、社会の、あるいは周りの人からの影響により「良い」「幸せ」という物差しに照らし合わされ、「より良い」「より幸せ」の方向へ向かうよう、私たちを急き立ててしまいます。
「心」って本当はとってもシンプルなのです。
でも「思考」を「心」と錯覚してしまうことで、混乱し、拗らせてしまい、複雑なものになってしまいます。
だからこそ、仏教でもヨガでも「執着」というものに気づき、手放すプラクティスがあります。
まず、「何を感じても...」の前に、それが「感じている」ことや、自然と動く「心」なのか、「思考により作られた感覚」や「思考により作られた心」なのか。違いがあることを知っておくと、「感じている」ことへの執着、または勘違いから自由になることができます。
この辺りのお話は、感じるマインドフルネスの継続コースでも触れる「十二因縁」を理解していくと、よりわかりやすくなっていきます。
さて、心や感覚のお話に戻してみますね。
思考ではない、「心」「感覚」は一色のはっきりしたものではありません。常に移ろいゆくグラデーションのようなものだと私は感じています。
悲しさの中にホッとした感覚があったり、嬉しさの中に焦りがあったり、怒りの中に喜びがあったり、一見相反するような感情がグラデーションで一緒にあっても、それは自然なものなのだと思うのです。
なのですが、私たちは「悲しい」という気持ちがある時に「ホッとしている」と感じてしまうことに罪悪感を持ってしまうことがあります。
または、「嬉しい」と感じている時に、「焦り」を感じてしまうことを未熟だと自分を責めてしまうこともあります。怒りの中に、「楽しさ」を感じていることを見ないようにしてしまったりもします。
グラデーションを許すことができないと、心は窮屈になりやすい。そして、ありのままに気づくことから遠ざかってしまいます。
脳は、一色でわかりやすい感情でないと、そのあやふやさを許容ことができず、ついつい輝く光、ブルーな気持ちなど、一色にしてしまう。ラベリングしやすいものに収めておこうとしまいます。
脳って、カテゴライズしやすく、わかりやすいものが好きなのよね。笑
・幸せなわたし
・苦しんでいるわたし
・頑張っているわたし
・わかっているわたし
カテゴライズは「⚪︎⚪︎なわたし」というキャラクタライズされた自己認識を作り出し、物語のように出来事や心の動き(思考だったりするもの)を見るようになってしまい、新しい執着が出来上がってしまいます。「感じている」ようで、実は思考が作り出した「物語」を通して物事を受け取っているだけという状態にとどまってしまうのです。
カテゴライズや枠組みから離れるには、プラクティスが必要です。
グラデーションをそのままにするには、心を大きくて柔らかく育んでいくことも助けになります。グラデーションをそのままにすることができて初めて、『何を感じてもOK』と感じていることをありのまま、そのままにしていくことができるようになってくるのです。
「脳 / 思考」から「心 / ハート」が主軸となっていく過程において、心を育むことなくして、思い込んでしまっている『価値観から自由になる』ことは難しい。
そんなお話をしていると、「私、思考ばかりに気づいて、感じられないんです」という方も多くいらっしゃいます。あるいは「思考なのか、感じているのかの違いがわからない」という方もいらっしゃいます。
「感じられていない」ということもまた「感じられていないということを感じている」のです。そして、「思考に気づいた、ということを感じ取った」のだと思います。
「感じること」を明確にしようとすること、それもまたカテゴライズしたい「脳」の習性。笑
そのままの「心の反応」や「体の感覚」を許してあげよう!
ヨガ先生が五十肩になってもいいじゃん!
お医者さんが風邪をひいたっていいじゃん!
心を育もうとしている人が混乱したっていいじゃん!
感覚を大切にしたい人が感じられなくてもいいじゃん!
なんだって大丈夫♡
その道を歩もうと、一歩づつ歩めていることを大切にできていたら、自然と心は育まれていきます。今の自分の感覚。それがどんなものであっても、『そのままでOK!』になるには、自分に着せている『価値観』から自由になるということ。そしてその『価値観』をベースにした『キャラクタライズされた自分』から自由になるということ。そんなものであなたの命という『価値』が値踏みされることはありません。
安心して、どんなことも感じることを許せるその時まで、プラクティスを楽しんでみよう♡
◉ありのままの自分に戻る時間◉
◉心とからだのバランスをとり戻す◉
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