さてさて、昨日のブログで『反芻思考』についてを書いてみました。ざっくりと言うと、思考していることに気がついてみましょうという内容でした。
で、そんな舌の根も乾かないうちに、今日のブログは「思考を意識しすぎると、思考が膨らむよ」です。笑
いや、基本ね、個人個人処方箋って違うのですよ。
例えば、同じ『熱が出た』と言っても、それぞれ対応が違うのが本来です。みんな頭冷やして葛根湯!みたいになってるけど、その他の要素を見ると、そんなことではないらしい。
同じ腰痛だと言っても、緩めるのが先の人もいれば、筋肉つけようから始まる人もいる。
それを一緒にしちゃうから、⚪︎⚪︎は効かないとか、逆効果だ、とかになってしまう訳ですよ。みんなの『今』が違うのです。
だから、マインドフルネスのお話でも、あれ?あの人に言ってるのと、この人に言ってるの、逆のこと言ってない?みたいになること、実はよくあります。
あの人には、「思考に気づきましょう」と言い、この人には「思考に気を取られないようにしましょう」と言う。あの人には、「自分が決めないとね」と言い、この人には「もう任せておいたらいいよ」と言う。あの人には「苦手な人からは離れたらいい」と言い、この人には「苦手を感じる自分に気づこう」と言う。
みんな、窮屈になるその要因は、反応する心の状態、大きさや柔らかさ、反応の現れ方、気づきの深さといろんなことが違うんです。まずは自分自身を癒すことが必要だったり、傷を持っている必要がなくなっていたら、今度は育むことに取り組んだり、そして、そんなのも丸っと卒業して、ただ人として “生きる” を味わっていたらいい時もある。別にどうなったら優秀とか、未熟とかじゃなくみんなの『今』が違うだけ。十人十色なのです。
だから、本来は指導者や、ガイドしてくれる方のもとで学ぶのが一番。なのだけど、ブログですから! いろんなパターンの心の状態に向けて色々なアプローチを書いてみております。えへへ
と言うことで、昨日とは丸っと逆のこと書いちゃうかもです。笑
さてさて、話がそれてしまいました!今日のトピック、「思考を意識しすぎると、思考が膨らむよ」に戻ってまいりますよー。
頑張り屋さん、真面目な方こそ、この「思考を意識しすぎると、思考が膨らむ」トラップにはまりこんでしまう方が多いように思うのです。
あるいは、「白か黒」「正解か間違い」みたいな2極的な思考の癖を持っている場合もかな。
真面目で頑張り屋さんですからね。笑
『そうか!思考に気が付かなければいけないんだな』となってしまうことがあります。
そうすると、自分の興味(意識)が『思考』に向かい続けてしまいます。瞑想しようとしても、興味(意識)を『思考』に向け続けているので、そればかり気になってしまう。日常の中に気づきを取り入れましょうと言っても、興味(意識)を『思考』に向け続けているので、そればかりが気になるようになってしまいます。
そりゃあそうですよ。
だって『思考』に自分の興味(意識)を向け続けているのですから、それが気になって当たり前。
そして良く見ようと近づいていくから、『思考』が段々と大きくなってしまいます。なんだか、『思考』があることが大ごとのように感じてしまうのです。
これを「新しい執着」と私は読んでいます。
「気づこう」「気づきたい」という向上欲が少し過ぎてしまうと、それは等身大の自分を置いてけぼりにしてしまい、欲へと姿を変えてしまうことがあります。
気がついて「そうなんだね」と優しく自分に声をかけ、気にしないでいられる程度であれば、それが等身大の自分にとって『今』取り入れられるプラクティス。でも、それをそのままにするにはちょっと大きい、気を取られ続けてしまう場合、心の負荷になっていることに気が付いていないということがあります。
入りきらない大きさのものを箱に押し込む状態になってしまって、箱から溢れてしまっている状態ですね。
箱から溢れていても、まだ押し込もうとする。それは自分を向上させたいという素敵な意欲から始まったものなのですが、残念ながら、頑張ってしまうあまり、等身大の自分を置いてけぼりにしてしまい、欲へと転じてしまったことで、「気づかなければいけない」「気づいていたい」という『新しい執着』となってしまうのです。
(*執着を手放そうとしているのに、どうして新しい執着ができるのかというお話は十二因縁のお話の時などにしています。また機会があれば!)
想像してみてください。
歩いていて、看板が見えました。気になって、もっとよく見ようと近寄ります。そして近くによると良く見えるようで、全体像は見えなくなり、看板は物理的に大きく見えるようになります。そしてぶつかってしまうくらいに近くに寄ってしまうと、もう文字も読めない。それどころか、歩いて進みたくても、近づき過ぎた看板が自分の前を塞ぎ、なんなら、どうやって次の一歩を踏み出せばいいのかもわからなくなってしまします。
「看板怖え〜〜〜」と看板があたかも妖怪かバケモノのように思ってしまうよねー。
いや、近くに寄って来たのはあなたですよ...と看板も言いたくなっちゃうわよ。笑
『思考に気づく』という作業は、マインドフルネスのプラクティスにおいて大切なものです。でも、それに執着する必要はありません。それよりも、私たちは『今を生きている』ということを大切にしたいと思うのです。
感じるマインドフルネスの講座では、『思考』はあくまでもツールですよとお伝えしています。自分の心が何に引っかかりやすくなっているのか、心が何に奪われやすいのか、過去の体験において自分の心に大きく影響していること、などなどを知ることによって、「今ここにない」ことを理解します。それだけです。
それがどんな『思考』であっても、取り扱いはツールです。それ以下でも以上でもない。自分を知るための道具です。その道具に目玉がくっ付くくらい近づいていたら、使えないよ。そしてただただ道具が大きく見えるだけ。笑
もしも、『思考』が大きくなっているな。『思考』にばかり意識が向いてしまうな。ということが気になるようだったら、「今」は思考に気がついたら、それが何を意味しているのかとか、どうやってその気掛かりを解決しようとか、そんなものはちょっと何処かへ置いて、ただ深呼吸してみましょう。あるいは気分転換もいいかもしれません。
深刻にならず、今を生きてまいりましょう!
大丈夫。プラクティスは続けていれば、ちゃーんと身になります。そして、時が来たら次のプラクティスへと進めば良いのだと思うのですよ。

◉ありのままの自分に戻る時間◉
◉心とからだのバランスをとり戻す◉
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