私たちは「見たいものを見て、聞きたいことを聞いている」って
どこかで目にしたことありますか?
同じ話をしても響いていることってみんな違う。
同じ場所で体験をしていても見ているものも違う。
その時に自意識がキャッチして、印象に残ることって
同じ時間を共有していてもみんな違うんです。
時々、えっ?そんなこと言ってないけどなーとかってのもよくある話。
どうしてそんな風に受け取っちゃうの??っと疑問が湧いてくることもあります。
ここで大切なのは、「違いがあるんだ」っということを知っておくことなんじゃないかな。
だから自分が見聞きしていることがあたかも「真実」だと思い込んでしまうのではなく
自分の印象にそれが強く残っている、またはそんな風に自分が受け取ったんだと
知っておくと、自分が今何に反応しやすくなっているのかもわかります。
この反応しやすい事柄は、時には自分の中でコントロールをしていること。
例えば「こうじゃなくちゃいけない」とかってことがよくありますよね。
・怒っちゃいけない
・正しくなくてはいけない
などの自分の中で大切にしたいことや、こうでありたいという願いがあると
それにそぐわない事、その反対のその象徴のようなことに反応しやすい。
または自分の中で認めたくない要素
・傲慢
・わがまま
・劣等感
などなどがあると、それを刺激するようなことにも大きく反応します。
どんな要素もあってはいけないものなんてないんです。
ただそれに振り回されていると苦しくなるよね。
っとそんな話はまた脱線しが長くなりそうなので別の機会に!
今日は反応しちゃうにはその要素が関わっているっということだけに留めましょう。笑
その他には、最近気になっていることなどにも反応します。
例えば、心のことを学び始めた頃と心っというワードだったり、
気の流れなどに興味がある時にはそれに。
何か新しい情報を得た時には、それにまつわることなどなど。
そんな風に興味があることにも、大いに反応しちゃう。
反応って、決して悪いことではないんです。
反応がなくなったら、今日暑いのか寒いのかもわかんないし
自分が心地よいのか、悪いのかもわかんない。
とっても大切な私たちに備わった機能です。
でも振り回されるんじゃなく、その反応に気づいておくことが大切です。
そしてそれは、その反応の要因(原因)となった環境や誰かが悪いのでも
反応した自分が悪いのでもなく、そんな反応があったっということだけで充分。
そこから思考をつなげて、何かを理解する必要もないし
何かを学び取らないといけない訳でもない。
自分の中に反応があったっということだけです。
同じように、自分と違う反応をする人がいるっというのを知っておくこと。
自分の反応が大切なのと同じで、誰かにはその人の反応も大切なのです。
違いがあるっということだけであって、
どちらが正しい、間違っているっという風に比べるものではありません。
これを比べると、「いつも私が悪いんでしょ!プンプン!」などといった
謎のスネスネモードに突入してしまい、もう何が要因だったのかとか
どうでもよくなって、「そんなことないよー」っとその気持ちを認めてもらえるかどうか
っというのが焦点になってしまい、糸がこんがらがってきてしまいます。
その反対になると、「あいつはわかっていない」などと
誰かを貶めてしまうジャッジが生じてきます。
見ている目が違うんだもん、見えるものが違って当たり前。
聞いている耳が違うんだもん、聞こえてくることが違って当たり前。
感じている肌が違うんだもん、受け取る感覚が違って当たり前なのです。
それがわかっていると、同じでようである時は楽しく共有し
違っている時にはそこに好奇心を向けていくこともできるでしょう。
好奇心を向けられないくらいに違いがある時には
適切な距離を取れば良いだけなのです。
どちらかの感覚を採用し、どちらかの感覚を間違っているとする必要はありません。
そして、誰が何をしたっというのが「真実」なのではなく
自分がそのように経験を受け取ったんだと知っておくこと。
それだけでも、今いる世界から悪者はいなくなり
心地よく、シンプルな世界になります。
あなたはあなた
私は私
わかりあう時もあれば、そうでない時もある
あなたは私の期待に応えるために生きているわけではないし
私もあなたの期待に応えるために生きているわけではない
分かち合える時があればすばしいし、そうでなくても仕方ない
これはゲシュタルトの祈りをちょっとアレンジしたバージョン
これくらいの心の距離感でいられれば、きっと健全。
さて、あなたは今日、今この瞬間
何を見て、何を聞いて、どんな体験を受け取っていますか?
それはいつでもあなた次第!
◉ありのままの自分に戻る時間◉
◉心とからだのバランスをとり戻す◉
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